お屋敷縁起
お屋敷の狭い階段をのぼって二階に上がると、大きなガラス窓が回り廊下をぐるりと取り囲んでいます。さらに、廊下の内側にある三間続き和室もガラス窓で囲まれています。
竣工当時のお屋敷
このお屋敷は部屋の中から外の景色を眺めるのに都合の良いように建てられています。
しかしそこから見えるのは、連立するビルとその谷間に見え隠れする瓦屋根ばかり。
一般にこのような建物は、広大な庭園の中か、見晴らしの良い場所にあってこそ、その真価が発揮されるはずのものです。
では、なぜこのような場所にこのようなお屋敷を建てたのでしょうか?
実は、西方にあった大きな御殿の一部を大正時代に現在の場所に移築したものだ、という言い伝えで、有栖川宮の別邸のものであったと言われています。
ここより西にある有楢川別邸と言えば、現在の舞子ビラの場所にあったものではないかと考えられます。
舞子の有栖川宮別邸は、明治二十六年春より着工し、二十七年に完成しました。その後、陸海軍の演習の際に宿舎や大本営として明治天皇や皇族が宿泊した後、大正六年七月に住友本家に譲渡され、住友家が迎賓館として利用してきました。しかし、第二次世界大戦後、アメリカの統治下においてGHQに接収され、仕官の住宅として使われたと言います。
東京都立中央図書館所有の資料によりますと、これらの過程で別邸中央の建物の一階部分が、三間続きの和室から洋室ひと間に改装されています。
改装される際にそれまで使われていた部材が、現在このお屋敷にそのまま使われているのではないかと言われています。